方丈庭園:虎の児渡し 借景
正式名称は東山慈照寺。足利家8代将軍足利義政が建造した別荘「東山殿」にはじまる。この東山殿から東山文化が発祥し、後の日本文化に多大な影響を与えた。庭園は特別史跡、特別名勝に指定されている。西芳寺(苔寺)の庭園を模して造ったとされ、上段は枯山水庭園、下段は池泉回遊式の庭園で中央に錦鏡池が広がっている。しかし創建当初の庭園の面影が残るのは銀閣(観音殿)と東求堂のみとされる。銀沙灘・向月台は江戸時代以降のもので、銀沙灘は光の反射率の高い白川砂を用いており、太陽や月の光などの自然の光の反射を室内の明かりとして採り込む役目を果たしている。向月台は坐して月が昇るのを待つためのものだという。 その他の見どころ 西芳寺の瑠璃殿を模して作られた観音堂(銀閣)。屋根は柿(こけら)葺き、内部は2層になっており下層は心空殿といわれ書院造風、上層は潮音閣といわれ仏殿風。二つの異なる様式が融合した東山文化を代表する建物。 国宝である東求堂。近世書院造の現存する最古の遺構であるといわれている。 銀閣寺垣と呼ばれる、まったく見通しのきかない高い生垣の下に造られた高さ90cmの竹垣。 銀閣寺形手水鉢
【創建・由緒】 明治28年に平安遷都1100年を記念して、遷都のおや神様である第50代桓武天皇をご祭神として創建。 幕末の戦乱で市街地は荒廃し、さらに明治維新によって事実上首都が東京へ遷ったことにより衰退していた京都を復興するべく、市民の情熱と全国の人々の京都への思いが町おこし事業として結実する形で建立された。 【御祭神】 第50代桓武天皇
借景
血天井 水琴窟 老松
「モミジの永観堂」と親しまれている京都有数の古刹です。