【創建・由緒】 永暦元年(1160)後白河法皇が、熊野権を勧請して建立した若王子の鎮守社。社名は天照大神の別称「若一王子」に因む。 以後、室町幕府及び武家の信仰を集めると共に花見の名所としても知られ、寛正6年(1465)3月には、足利義政により花見の宴が催された。その後、応仁の乱により社殿は荒廃したが、豊臣秀吉により社殿及び境内が整備され再興。現在の社殿は、昭和54年(1979)に一社相殿に改築されたもので、以前は本宮・新宮・那智・若宮の四棟からなっていた。 また境内には末社として恵比須神社及び三解社が祀られ、背後の若王子山頂には同志社英学校(同志社大学の前身)の創立者である新島襄の墓がある。 【御祭神】 国常立神(くにとこたちのみこと) 伊佐那岐神(いざなぎのみこと) 伊佐那美神(いざなぎのみこと) 天照皇大神(あまてらすおおみかみ) 恵比須像
【創建・由緒】 奈良時代末期の延暦元年(782)『続日本紀』に「田村後宮の今木大神に従四位を授ける」とあり、平城京の宮中に祀られていた。桓武天皇の父、光仁天皇の御所であった。この地には延暦十三年(794)平安遷都と同時に御遷座された。 当初、境内地は方八町余(平安尺で1.5km四方)で、現在の京都御所とほぼ同じであったが、時の変遷と共に現在の200m弱四方となった。 御本殿は国指定重要文化財。寛永二年(1625))南殿と、同九年(1632)北殿建立。東向きの「平野造」又は「比翼春日造」と呼ばれる二殿一体となった御本殿が二棟南北に建ち、北より今木皇大神より順に祀られている。東向きは宮中神であったことによる。 【御祭神】 今木皇大神(いまきのすめおおかみ):源気新生、活力生成の神 久度大神(くどおおがみ):竈の神、衣食住の生活安泰の神 古開大神(ふるあきおおかみ):邪気を振り開(晴)く平安の神 比賣大神(ひめのおおかみ):生産力の神
【創建・由緒】 明治28年に平安遷都1100年を記念して、遷都のおや神様である第50代桓武天皇をご祭神として創建。 幕末の戦乱で市街地は荒廃し、さらに明治維新によって事実上首都が東京へ遷ったことにより衰退していた京都を復興するべく、市民の情熱と全国の人々の京都への思いが町おこし事業として結実する形で建立された。 【御祭神】 第50代桓武天皇
回遊式 舟遊式
【創建・由緒】 平安遷都の際に、国土の安泰と都の守護を願って、王城(都)の南に祀られたお宮であることから、城南宮と称えられる。 応仁の乱などで荒廃したが、江戸期に復興。 【御祭神】 国常立尊(くにのとこたちのみこと) 八千矛神=大国主命(やちほこのかみ=おおくにぬしのみこと) 息長帯日売命=神功皇后(おきながたらしひめのみこと=じんぐうこうごう)
上古の庭 曲水の庭 蓬莱の庭