重森三玲による作庭。「八相成道(釈迦の生涯で起きた8つの重要な出来事)」を方丈の四方を庭で囲んで表現している。その東西南北の四つの庭園を総称し「八相の庭」という。 【南庭】 蓬莱神仙の世界、九山八海の須弥山を現している。東(左手)に巨石にて四神仙島(仙人が住む4つの島)の、「方丈」、「蓬莱」、「瀛州(えいしゅう)」、「壷梁(こりょう)」を、その周りの波紋は「八海」、西(右手)の築山は「五山(天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)」を表現。この庭だけで八相成道のうちの6つが表現されている。 【西庭】「井田の庭」 八相成道の「井田市松(せいでんいちまつ)」を表現。井田とは、井の字に等分した中国の土地制度に因んだもの。切り石を縁石にした葛石で井の字(大桝形)に組み、正方形に刈り込んだサツキ、白砂により市松模様が作られている。 【東庭】「北斗七星の庭」 八相成道の「北斗七星」を表現した庭。東司(とうす・トイレ)に使われていた柱石を利用して北斗七星を構成し、それを雲文様地割に配し小宇宙空間を表している。後方には天の川を表したという植栽が配置されている。 【北庭】「市松の庭」 苔地に敷石を市松模様に配置した庭。苔の青みと敷石のコントラストが美しい。西から東へ仏法が広がる様を表しているとされ、東へ移るほど市松紋が次第にぼかされている。
【創建・由緒】 浄土宗総本山。宗祖法然上人が、承安5年(1175)東山大谷の吉水に設けた草庵に始まる。その後、二代源智上人により基礎が築かれ、文暦期、源智(勢観房)が復興(大谷寺)、その後火災や兵乱に遭い、徳川家康・秀忠・家光により現在の壮大な伽藍が形成された。三門・経蔵・勢至堂を除いては、寛永期の再建。 【見どころ】 法然上人の像を安置する御影堂(国宝)は1639年(寛永16)建立になる大建築で、大方丈、小方丈、勢至堂、経蔵、三門(国宝)、唐門、大鐘楼、集会堂、大庫裡、小庫裡と文化財指定建造物が並ぶ。 三門(国宝)はわが国最大木造の門で近年解体修理され偉観をとりもどした。大小方丈前の方丈庭園(回遊式庭園)は、僧玉淵坊作と伝えられる。国宝の紙本着色法然上人絵伝(48巻伝)、阿弥陀二十五菩薩来迎図など多数の文化財を所蔵。 【方丈庭園】 江戸初期、小堀遠州と縁のある僧、玉淵により作庭。池泉回遊式の庭園。 【二十五菩薩の庭】 皐月の低い刈込と石で構成。知恩院が所有している阿弥陀如来二十五菩薩来迎図に由来。石は阿弥陀如来と二十五菩薩を、植え込みは来迎雲を表していると言われている。
龍門瀑 鯉魚石 水落石 橋石組 現存する日本最古の石橋 借景 回遊式 曹源池
【創建・由緒】 平安時代初め、清和天皇の貞観元年(859)弘法大師・空海の弟子で南都(現・奈良)大安寺(だいあんじ)の僧、行教(ぎょうきょう)によって創建。 行教和尚は豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神様の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣(お告げ)を蒙る。 同年、男山の峯に御神霊を御奉安、翌 貞観2年(860)朝廷により同所に八幡造(はちまんづくり)の社殿(六宇の宝殿[ろくうのほうでん])が造営されたことを起源とする。 【御祭神】 誉田別命(ほんだわけのみこと)=応神天皇(おうじんてんのう)、比咩大神(ひめおおかみ)
室町幕府3代将軍・足利義満が公家の山荘を譲り受け、北山殿を造営したことを起源とし、義光の死後、禅寺に改め義満の法号をとって鹿苑寺と名付けられた。 衣笠山・左大文字山を借景とした池泉回遊式・舟遊式庭園(特別名勝・特別史跡)。 約6600㎡の鏡湖池(きょうこち)には神仙思想が取り入れており、蓬莱島(葦原島)、鶴島、亀島など大小の島や、諸大名に贈られた各地の名石も配されている。 三尊石組・九山八海石・護岸石組が見られ、港に停泊する船を表現した夜泊石もある。 また龍門の滝も有名。鯉が滝を登ると龍になるといわれる中国の故事・登竜門にちなみ、滝の下には鯉に見立てた鯉魚石が置かれている。 その他、金森宗和作の茶室・夕佳亭、四つ目垣の変形種・金閣寺垣、足利義満が手植えしたと伝えられる陸舟の松など。
京都市上京区、菅原道真をおまつりした神社です。学問の神様としても有名。また、「梅苑」は約2万坪の境内に約1,500本もの梅の木があり、毎年2月~3月には美しい梅の花を観賞できます。