【直中庭(じきちゅうてい)】 千利休が66歳のときに作庭したと伝わる枯山水庭園。秀吉のシンボルでもある瓢箪型の枯池、大徳寺の徹翁禅師が比叡山から持ち帰ったと伝えられる不動三尊石、加藤清正が朝鮮から持ち帰ったとされる朝鮮灯籠が見どころ。 【破頭庭】 天正年間(1573-1593)に作庭された。破頭とは悟りの境地に達することという。 手前半分を白川砂、奥を桂石で区切り苔を配したシンプルな庭。苔の上の大小二石は観音菩薩、勢至菩薩を表しているとされる。東端(左手)に、釈迦を表したという 沙羅双樹(実際には夏椿)が植えられ、その右脇に人を表したという石が伏されており、釈迦にひれ伏す人を表すともいう。 【作仏庭】 本堂北の枯山水式庭園。北東に組まれた滝を表す立石から流れた水が、西と南へ流れ下っている。本堂東の中庭に回った流れの中には小船に見立てた巨石も据えられており、南の破頭庭へと注いでいる。
【独坐庭(どくざてい)】 ・荒波が打ち寄せる様子を白砂で表現している。 【閑眠庭(かんみんてい)】 別称「十字架の庭」。キリシタン灯籠を中心に、縦に4個・横に3個が並び十字架に組まれている。 【茶庭】 松・苔の植栽に飛び石という典型的な茶庭。近年改築。
方丈北庭は、東西の2つのエリアに分けることができる池泉回遊式庭園。 東の庭は夢窓疎石が作庭したと言われ、心字池(しんじち)に蓬莱島、2つの亀島など3島がある。 西の庭は義政公好みの茶室・清漣亭(せいれんてい)と芙蓉池(ふようち)を持ち、衣笠山を借景にしている。
小堀遠州の作庭といわれる。白砂と七五三形式の刈込み、比叡山の借景により構成されている。石ではなく大刈込で七五三を表現した枯山水というのが禅院式庭園としては珍しいものである。また、俗に獅子の児渡しの庭とも言われる。獅子の児渡しとは中国の説話から来ており、トラは三匹の子を産むと一子は豹で、母虎がいないと豹が他の二子を食ってしまう。そのため他の二子を豹に食わせないよう川を渡る際に母虎が何往復もする姿になぞらえている。皐月が咲く時期の大刈込は一段と華やかさを増す。また、血天井も有名。
江戸初期の文化人・本阿弥光悦が1615年(元和1)徳川家康からこの地を与えられたのが起こり。境内には7つの茶室があり、中には入れないが露地を楽しむことが出来る。光悦垣(牛の寝た姿に似ているところから臥牛垣とも言われる)が有名。
【創建・由緒】 日蓮宗。元和2年(1616)本阿弥光悦の子・光嵯が発願し、本阿弥光悦の寄進した土地に日蓮宗中興の寂照院日乾(にちけん)上人を招じて開祖。寛永4年(1627)には、僧達の学問所として鷹峰壇林(学寮)を開設。往時は大小の堂宇が建ち並び、山城六壇林として栄えたが明治に廃止されている。 日乾上人に帰依した吉野太夫ゆかりの寺として知られ、太夫の墓や太夫が寄進した「吉野の赤門」と呼ばれる山門・吉野窓(茶室)・吉野桜も有名。