【創建・由緒】 浄土宗総本山。宗祖法然上人が、承安5年(1175)東山大谷の吉水に設けた草庵に始まる。その後、二代源智上人により基礎が築かれ、文暦期、源智(勢観房)が復興(大谷寺)、その後火災や兵乱に遭い、徳川家康・秀忠・家光により現在の壮大な伽藍が形成された。三門・経蔵・勢至堂を除いては、寛永期の再建。 【見どころ】 法然上人の像を安置する御影堂(国宝)は1639年(寛永16)建立になる大建築で、大方丈、小方丈、勢至堂、経蔵、三門(国宝)、唐門、大鐘楼、集会堂、大庫裡、小庫裡と文化財指定建造物が並ぶ。 三門(国宝)はわが国最大木造の門で近年解体修理され偉観をとりもどした。大小方丈前の方丈庭園(回遊式庭園)は、僧玉淵坊作と伝えられる。国宝の紙本着色法然上人絵伝(48巻伝)、阿弥陀二十五菩薩来迎図など多数の文化財を所蔵。 【方丈庭園】 江戸初期、小堀遠州と縁のある僧、玉淵により作庭。池泉回遊式の庭園。 【二十五菩薩の庭】 皐月の低い刈込と石で構成。知恩院が所有している阿弥陀如来二十五菩薩来迎図に由来。石は阿弥陀如来と二十五菩薩を、植え込みは来迎雲を表していると言われている。
潮音庭:三尊石組・四方正面 建仁寺垣
方丈庭園:虎の児渡し 借景
正式名称は東山慈照寺。足利家8代将軍足利義政が建造した別荘「東山殿」にはじまる。この東山殿から東山文化が発祥し、後の日本文化に多大な影響を与えた。庭園は特別史跡、特別名勝に指定されている。西芳寺(苔寺)の庭園を模して造ったとされ、上段は枯山水庭園、下段は池泉回遊式の庭園で中央に錦鏡池が広がっている。しかし創建当初の庭園の面影が残るのは銀閣(観音殿)と東求堂のみとされる。銀沙灘・向月台は江戸時代以降のもので、銀沙灘は光の反射率の高い白川砂を用いており、太陽や月の光などの自然の光の反射を室内の明かりとして採り込む役目を果たしている。向月台は坐して月が昇るのを待つためのものだという。 その他の見どころ 西芳寺の瑠璃殿を模して作られた観音堂(銀閣)。屋根は柿(こけら)葺き、内部は2層になっており下層は心空殿といわれ書院造風、上層は潮音閣といわれ仏殿風。二つの異なる様式が融合した東山文化を代表する建物。 国宝である東求堂。近世書院造の現存する最古の遺構であるといわれている。 銀閣寺垣と呼ばれる、まったく見通しのきかない高い生垣の下に造られた高さ90cmの竹垣。 銀閣寺形手水鉢
【創建・由緒】 明治28年に平安遷都1100年を記念して、遷都のおや神様である第50代桓武天皇をご祭神として創建。 幕末の戦乱で市街地は荒廃し、さらに明治維新によって事実上首都が東京へ遷ったことにより衰退していた京都を復興するべく、市民の情熱と全国の人々の京都への思いが町おこし事業として結実する形で建立された。 【御祭神】 第50代桓武天皇
借景