【創建・由緒】 約1000年前、橘行平卿が因幡(現在の鳥取県)の一宮へ天皇の使いとして参詣。その帰洛の途中、夢のお告げによって海中から引き上げた薬師如来を本尊として開基したお寺、というのが通説。この本尊は一木作りの優品で重要文化財に指定されており、日本三如来のひとつに数えられる。 また子母澤寛の「新撰組始末記」の中では、「芹沢鴨が偽物と思って刀を突きつけた虎に吠えられて驚いた場所」としても紹介されている。 平等寺(因幡薬師)にまつわる話は数多く残されており、その長い歴史の中で、人々の心の拠り所であり続けてきたことが判る。
【創建・由緒】 高野山真言宗。小野篁(おのの たかむら)が開基。寛仁期、恵心僧都の法弟、定覚(じょうかく)上人が創建。 百人一首の歌人として知られる小野篁(802~853)は、この世とあの世を行き来する神通力を有したとされており、昼は宮中に赴き、夜は閻魔之廰に仕えたとの伝説を残している。 篁は閻魔法王より現世浄化のため、塔婆を用いて亡き先祖を再びこの世へ迎える供養法で、後に我が国の伝統習慣である「盂蘭盆会(お盆行事)」へと融合発展する法儀「精霊迎えの法」を授かった。その根本道場として、朱雀大路(現・千本通り)の北側に篁自ら閻魔法王の姿を刻み建立した祠が、開基とされる。
【創建・由緒】 真言宗醍醐派。八臂弁才天(鎌倉時代後期作)を本尊とし、一般に「島の弁天さん」の名で知られている。 元禄12年(1699)伏見奉行建部内匠頭政宇(たてべたくみのかみまさいえ)が中書島を開拓するに当り、深草大亀谷即成就院(そくじょうじゅいん)の塔頭多聞院(たもんいん)を当地に移し、弁才天を祀ったのが当寺の起り。寺名は、建部氏の長寿を願ってこのように名付けられた。 弁才天は音楽をもって衆生を救う神で、福徳・智恵・財宝をもたらす七福神の一つとして多くの人々の信仰を集めている。当寺で毎年7月23日に行われる「弁天祭」は、かつては、淀川に御輿(みこし)や篝船(かがりぶね)がくり出す舟渡御が盛大に行われていたが、淀川の河流が変ったことなどにより、昭和26年を最後に途絶えている。 現在は弁天祭と2月節分祭には、醍醐派修験道の最高の神髄として柴燈(さいとう)大護摩修行が行われている。また正月には、現世利益を授かるため多くの参拝者で賑う。