今回は京都でも珍しい「縁切り」「縁戻し」「浮気封じ」のご利益がある
櫟谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)をご紹介します!
と言っても、櫟谷七野神社と聞いてもピンとこない人も多いのでは?
それもそのはず、櫟谷七野神社は西陣の外れ、昔は紫野(むらさきの)と呼ばれていた、なんとも説明しづらい場所にあるのです。
しかし、そんな櫟谷七野神社も歴史的にはたいへん由緒ある神社なんですよ!
そもそも櫟谷七野神社って?
まず、その名前の由来から、、
櫟谷七野神社は奈良三笠山から春日大神を奉祀したのが起源とされています。
そして、その春日大神御鎮座の場所が山城国葛野郡の櫟谷(いちいだに)とされており、櫟谷七野神社の「櫟谷」はここからきてると言われています。
また「七野」は、春日・伊勢・石清水・賀茂・平野・松尾・稲荷の七神を七ノ社とした事や、この付近の地名である紫野・上野・柏野・北野・平野・蓮台野・内野をまとめて七野と呼び、その七野の神社の祭神を集めて祀った(合祀)神社である事から「七野」となっているそうです。
ちなみに、いま申したように櫟谷七野神社は春日大神を奉祀しているので、境内の中に春日大神の神使である鹿の像があったりします!
そして、その鹿の背中に載っている文箱(?)にもしっかり春日神社の神紋である「下り藤」もありました。
また、神紋ではありませんが、櫟谷七野神社には大名の家紋が刻まれた石が境内の石垣などいたるところに見られます。
これ実は、室町時代に一度荒廃してしまった櫟谷七野神社を豊臣秀吉が再建した跡なんですよね。
その修復の際、秀吉は各大名に石垣の寄進を命じ、修復に参加した様々な大名は寄進した石に自分の家紋などを刻み、自分が寄進したという証を残したという訳です!
不思議な「縁切り」「縁戻し」「浮気封じ」の御利益
では、次は櫟谷七野神社の珍しい御利益である「縁切り」「縁戻し」「浮気封じ」について説明します。
縁結びの神社は数あれど、元々縁がある(あった)相手に対する願いを込める神社はなかなか珍しいですよね~
その由来は、59代宇多天皇(894年)の皇后が離れてしまった天皇の愛を復活させてほしいとこの神社にお祈りしたところ
“社前の白い砂を三笠山の形に積み、祈願せよ”
とのお告げを得て、その通りに砂山を作り祈った結果、天皇の愛情が戻ったという話からきています!
それ以来、社前に白砂を積めば「縁戻し」「浮気封じ」の願いが叶うといわれ、社前に積む砂も「高砂山」と呼ぶ様になったそうです。
現在でもそのまじない(?)は残っており、本殿前に備え付けられた棚に白砂を積み、祈願できるようになっています。
また、櫟谷七野神社は縁切りにも霊験あらたかで、なんと縁切り用のお守りも用意されています。
つまり、縁を戻したい人の浮気相手との縁を切る為に使うというわけです。
その使用方法とは、お守りの中に入っている白砂を浮気相手の家の前や敷地内に密かにまく、というもの。。
さらに、今やその効果が派生し、縁を戻すのではなく今のパートナーと縁を切るためだけにも使うことができるそう。願をかけた白砂を相手のポケットや寝具まわり、枕の中や車のシートの隙間など、とにかく身近なところに1粒を潜ませるということ。。
櫟谷七野神社のもう一つの顔
そしてもう一つ、この櫟谷七野神社はかつて「賀茂斎院」があった歴史的に重要な場所でもあります。
賀茂斎院とは、平安時代から鎌倉時代にかけて加茂社に奉仕する斎内親王、すなわち斎王が身を清めるために住まわれた御所です。
その事から、葵祭で斎王代に選ばれる女性はこの櫟谷七野神社で初神事を行い、顕彰碑の前でお祓いを受け、神前に献茶してから参拝を行っていたんだそうです!(2015年までで、一旦休止したようです)
少し行きづらく、近くまで来れても見つけにくいような場所にある櫟谷七野神社ですが、珍しい御利益を持っていたり歴史的に重要な場所であったりと、多くの見どころのある神社です。興味のある方はぜひ訪れてみてください!
投稿日:2018.03.19